経営コラム

2014年3月27日 木曜日

感謝我的母親

 我出生於昭和22年1月11日,在福岡市南区的三宅本町、在三宅小学校、三宅中学校就讀。在那個時代應該是每個家庭的生活環境都差不多,父親要每天從早忙到晚,只有在夜裡很晚或者週日才能偶爾看見他。所以必然的和父親說話的機會很少,所以我在母親的引導下成長起來。

因為實在農村的小學,所以也不怎麼學習,沒事兒就玩玩踢罐子抓人,摔跤,棒球啥的,一直玩到天黑,所以那個時候學習成績不咋樣。後來在小學四年級的時候開始有縣營住宅,很多上班族的孩子也開始來到我們學校,導致我的學習成績明顯的就排在後面,也許是因為那些新來的學生都是本來就很熱愛學習的吧。由於這些學生的來臨讓我認識到自己學習的不足,急急忙忙的認真投入到學習之中,就在這種狀態下結束了我的小學生活。

以前我經常在秋收后的農田裡玩壘球玩到天黑。由於父親總是回來的很晚,所以我經常被母親拉著去散步。秋天農田裡飽滿的麥穗低垂著頭,母親經常會對我反復重複著一句話。麥穗是很內斂很謙虛而且十分有內涵。這就跟我們做人一樣,不論以後多麼的風光也不要忘記保持內斂謙虛的風範,得意忘形會讓人生充滿失敗。以後你也要牢記這些,做到時刻提醒自己。這句話聽得我都快要把耳朵磨出繭子了。 

2.招待所老闆的兒子
 母親在我進入三宅中學校就讀以後,把我們的舊宅翻新改成了招待所來維持生計。我就成了招待所老闆的兒子,這段時光給我的人生帶來了很大的影響。母親總是說「『看別人的短處并學會自己去改正同樣的短處』(我們家裡住進來過很多能成為人生的老師的人。)「用手指向別人的時候請不要忘記還有三根手指是在指向自己,這就是告訴我們在指責別人的時候先想想自己是否有資格去指責。」母親的話回想起來有很多,每一句的中心思想都是「謹記謙虛」。

 母親還總是說「『聽一件事想到10件事,聽10件事想到100件事』的諺語。就是說在做任何事之前要進行事先的計劃,要學會提前考慮。被別人說完才去做的話誰都能做到,但是如果我們不做到事先做計劃的話就不能比別人更優秀成功。」 我問過母親「比如說什麼樣的事情呢?」

母「你看,這裡是康夫你和客人吃過飯的盤子吧,接下來要幹啥?」

我「撤去廚房。」

母「康夫你也許覺得光把盤子撤到廚房以後就做的很好了。但是你有沒有去想接下來要做什麼?洗盤子對吧?為了讓盤子一會兒更好洗,先把盤子泡在水裡是不是更方便?你趕緊把盤子泡在水裡去!!」

我「好的!明白了。」

或者是如下這樣。
母「去衛生間的時候發現廁紙快沒有了就需要你提前做好補充。」

我「好的!明白了。」

母「做事提前考慮這個技能不是生來就會的,是在生活中日積月累的經驗。養成這種習慣的人在以後的生活工作中都會很順風順水。」

 對來我公司拜訪的客戶斟上的茶,我都會在客人離開之後把杯子拿到廚房間並把茶碗裡泡上水。總務的女生就對我說「先生會把要洗的杯子裡面泡上水讓我們洗杯子很便利。」這種事雖然是我無意識的行為,但是就是因為母親的耳濡目染讓我在現今得到了讚賞。

 年輕的時候我很易怒,母親對我說『把發脾氣(カンシャク)的最後一個假名(ク)字去掉以後,就變成感謝(カンシャ)這個單詞,用這種心情來生活吧。』那時候我總是覺得母親懂什麼,又不理解我的心情就在那裡亂講。但是在我長大以後我卻分外了解了「謙虚」「感謝」這兩個詞的重要性。

3.思考如何生活
母「一生中吃苦的日子多,順利的日子比較少。因為吃四年苦,享福也不過三年而已。總之苦日子總會比享福的日子多一年。雖然感覺上苦日子會比較多,但是調節好自己的心情是最重要的事情。」

康夫「我不太明白母親的意思,總之就是吃苦的日子比較多唄?」

 母親以前沒有考上比較好的縣里公立高中而不得已去了私立的高中的時候,還有她要去東京念大學的時候。母親認為「『不甘心』這個單詞有兩個理解意思『真不甘心』和『不甘心也沒辦反』。要經常以『我就是不甘心』的心情去面對人生,對任何事都要去挑戰,不到最後不輕言放棄。」所以我也是不論遇到什麼困難都會想起母親的話,用「我不甘心,憑什麼我會輸」的意念去挑戰人生。到現在為止我也是不論遇到什麼困難我都會不輕言放棄,一直在努力。

「人生不能隨便停下來,要一直一直向前進,人生是一直到死為止都要在學習中度過的。」我現在是註冊會計師,我的工作性質讓我接觸到各種各樣的人群。

我認為在工作中有建樹的人一般都是對自己的工作抱有很大的興趣,不論給予什麼新工作,都是非常的感興趣,這樣的話也能提高工作質量。對任何事都不輕言放棄的想法很重要。

我把母親教會我的事情總結為一下幾點。
1, 不論遇到什麼不開心的時候都不要一直放在心上,睡一晚就把它忘掉。要一直去嘗試新的東西,不要失去力量。
2, 要一直有謙虛的胸懷,不要驕傲輕浮。要一直站在對方的立場去考慮事情。
3, 要認真聽取別人的意見,然後來綜合判斷問題。
趣才會認真的工作。
5, 要對任何事情抱有感謝的心情。因為生活中很多事情都需要互相協助才會完成。互助才會互樂。

我對給予我如此多正面影響的母親充滿了無盡的感謝。

                                     合掌
 

川庄会計集團公司 代表 川庄 康夫


 

投稿者 川庄会計グループ | 記事URL

2014年3月25日 火曜日

経営における傲慢と謙虚

Ⅰ意義
 辞書で傲慢を引くと、「驕り高ぶり 周囲を見下す態度をさす」とあります。昔から、この「驕り」の代表例として、「驕る平家も久しからず・・」と戒められてきました。「自信」や「誇り」と「驕り」には紙一重の要素しかないようですが、その間には深くて暗い川があります。「自信」や「誇り」をもってことに臨むことと、「驕り」の気持ちを持って臨むことは、"似て非なるもの"であることを認識しておかなければなりません。

 企業も「驕り」の態度で企業運営を行うと手痛いしっぺ返しを受けることになります。では、どうしたら成功するのか?どのような考え方で企業経営を行えば良いのかを考えても、簡単に答えは見つかりませんので、いろいろな会社の失敗例や、他社が成功している事例を検証し、参考として自社に取り入れて検討します。経営が悪化しても誰も助けてはくれません。自社で経営改善を行って企業価値を上げ、エクセレントカンパニーにならなくてはなりません。

Ⅱ事例の検証
(1)「技術がよければ必ず売れる」という過信

 今から30年ほど前に、世界を二分する競争を繰り広げていたベータ陣営のソニーと、VHS陣営のナショナル(現パナソニック)・ビクター・日立等はどちらが世界市場を押さえるかを争っていました。ソニーのベータとパナソニックのVHS。録画機は、技術的にソニーのベータの方が録画の画質や操作性も優れていました。その為、ソニーは技術的優位な立場にあり、世界市場は遠からず、ソニーのベータが世界標準になってVHSを世の中から駆逐してしまうだろうと楽観していました。何しろ「技術のソニー」でしたから。

 対するVHS陣営のビクター・パナソニックは世界戦略として、北米を取り込むと他の地域は自動的にこちら側の陣営になる読んで、ソニーよりも早く北米市場を押さえてしまいました。ソニーが気づいた時には北米はVHS一色になっていて、技術的に優れていたベータ陣営は敗戦を余儀なくされます。「技術がよければ必ず相手に勝てる」「負ける訳はない」との技術過信という「驕り」から、ベータは市場から消えて復活の目を見ることはありませんでした。

 技術が良いのならなおさら製品の価値にのめり込むことなく、その製品の売り方は現状で良いのか、又どこの国のどの相手を自社側につけるとシェアを一挙に拡大できるか等を「驕る」ことなく、ソニー陣営の方から相手を立てて寄っていけば違った状況になったかもしれません。当時のソニーの経営陣に、「ソニー製品は技術的には世界最高峰だが、販売は大丈夫か?もっと売り方・攻め方に工夫があってもよいのではないか?」と、経営にあたって常に自信を持って、そして臆病な心を持って経営に臨む人がいなかったのか、もしくはそのような人がいたとしてもそういう発言の機会がなかったとしか思えません。

 あんなにりっぱなエクセレントカンパニーのソニーですから、その後驕らず、謙虚な気持ちを持った経営を続けていくものと信じていましたが、最近ソニーは14年3月期の連結決算で純損益1100億円の赤字になると発表しました。対策として不振がつづくテレビ事業の分社化やパソコン事業の売却などで経営再建をはかり、それに伴い国内外で約5000人の人員を削減すると発表しました。

 他企業の14年3学期の決算予想を見ると、円安に伴って利益が嵩上げされリーマンショック以前も含めて、過去最高の利益を計上している企業が多数あります。一昨年から続いているアベノミクスによる金融政策でのマネタリーバランス増加に伴う超金融緩和の円安効果により、企業の予想利益は大幅な上昇となった企業が続出しました。

 ソニーの決算予想を見ると、ソニーは円安という条件下でも製品が売れなかったと思われます。同業他社と比較しても、円安でも製品が売れなかった訳ですから、原因としては「自社製品やサービスが消費者のニーズと合致しなかった」ということでしょう。世界規模で市場構造が変わり、情報・通信インフラが刷新されているなか、ソニーは主力のエレクトロニクス分野で、その変化した市場への対応ができたのか?ということが問題であり、利益が出ないということを、技術者や従業員の首を切ることで誤魔化しているのではないでしょうか?

(2)勝ったと思ったら負ける。それからの復活
シャープ㈱の業績は円安の効果もあり営業赤字の予想から営業黒字200億円へと変化すると発表し、長く続いた営業赤字から決別しました。シャープの経営悪化の原因はいろいろありますが、そのうちのひとつに必ず挙げられるのは液晶の大型工場の建設です。「アクオス」ブランドの液晶テレビが大ヒットし、その勢いに乗って技術流出を防ぎ、一強独裁を目指して亀山モデルと言われる亀山工場の拡張や堺工場の新設に走ったのが、結果的に過剰投資となりました。

 問題を解く鍵はシャープの経営幹部がパナソニックやソニーに「勝った」と思ったところにあります。国内市場では優位に立っていたので、一挙に他社を引き離そうと大型投資を行ったと思われます。
 しかし目を世界に向ければ、韓国勢や台湾勢の存在があり、グローバル市場で勝っていたわけではなかったのです。技術面で見ると、テレビのデジタル化で部品を共通のモジュールとして作ることが可能になり、量産による大幅なコストダウンを容易にしました。販売面では新興国が巨大市場になり始めていて、こうした新たな変化は韓国勢や台湾勢に有利に働きました。

 その時々の経営の判断を、振り返ってみて安易に判断するのは良くないとは思いますが、そんなタイミングでの大型投資は、今から振り返れば無理がありました。市場をグローバルに判断しなければならない状況も考えて、経営の舵取りをしなければいけません。

 バブルの時代もそうであったように、日本企業が"勝った"と感じた時が凋落のはじまりだったのです。製品や技術で成功しても、驕らず謙虚な気持ちで「勝って兜の緒を締める」などの気概を持ち、常に挑戦者であると思い「追いつき追い越せ」と社内号令をかけ、世の中の情報をキャッチし、設備投資・人材教育・情報投資等を行えば、失敗はしないと思います。
 

川庄会計グループ 代表 公認会計士 川庄 康夫


 

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